


はっさむ商店街の歴史

昭和29年(1954)の稲荷街道
年の稲荷街道はこんなところでした!
そのはじまりは昭和10年代の光永商店でした。
30年頃から次第に店が増え、昭和32年には線路の北側と合わせ20軒で「発寒商工会」が発足。
やがて名称を「発寒商工振興会」に変更して、会員120名を擁するまでに発展します。

昭和51年(1976)の稲荷街道
そして昭和46年には線路を境に南北2つの商店街に分かれ、昭和51年の地下鉄東西線開通の年に『発寒商店街振興組合』へと衣替えします。そして昭和46年には線路を境に南北2つの商店街に分かれ、昭和51年の地下鉄東西線開通の年に『発寒商店街振興組合』へと衣替えします。
そのとき始めた「ほほえみシール」は「わくわくスタンプ」へ、昭和59年からは「発寒商店街ふれあい祭り」が始まり今は形を変えて、商店街の一部を歩行者天国にして「はっさむ夏祭り」として続いています。
その後モータリゼーションの進行や大型店の動向など、社会環境の変化の波にもまれながらも、地域に根ざした生活支援の場として歩んできました。













はっさむ商店街はJRからも地下鉄からもいけるよ!

発寒屯田兵が開拓してかれこれ・・発寒商店街のはじまりは昭和10年代の光永商店でした。昭和30年頃から次第に店が増え、昭和32年には線路の北側と合わせ20軒で「発寒商工会」が発足。やがて名称を「発寒商工振興会」に変更して、会員120名を擁するまでに発展します…


