
▲発寒6条7丁目付近
この場所は大正の頃より川が流れていました。
この橋(鮭美橋)から川を見ると鮭が美しく泳いでいた姿から鮭美川と名付けました
(琴似屯田三世 三戸部 清一)。
川には鮭の外、どじょう、フナ、ヤマベ、うぐい、ざりがに等がいました。
又、農業用水、生活用水としても用いられました。
※鮭美川跡の由来パネルより
発寒屯田四世・三戸部 清美さんに伺いました。
現在の発寒6条7丁目付近、鮭美橋のあった場所に当時、実際に橋梁として使用された石で昭和63年9月に建立された歴史を記したものです。
幾世代にわたり発寒に暮らす人々の記憶に留まる小さな川も、周辺がすでにほぼ埋め立てられて住宅や車線となり、橋の名残の上を歩いていても気づかないこともあるようですが、この場所には唯一、川堀跡が残されているのです。
名前の由来を振り返ってみると、発寒がどれほど豊かな水源をもつ場所であったかを伺い知ることができます。
※2010年.冬 ぶらりはっさむより一部抜粋。
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